だいたい47度

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世界観が溢れる短篇集 The Indifference Engine

伊藤計劃の短篇集The Indifference Engineを読んだ。

早世した筆者の長編小説は「虐殺器官」「ハーモニー」「Metal Gear Solid Guns of the Patriots」の3作のみが出版されているが、中編の「The Indifference Engine」や「From the Nothing, with Love」などがこの短篇集には収められている。よってこの4冊で概ねの伊藤計劃の小説を網羅できる。

伊藤計劃の小説は、登場人物より描かれる世界そのものに重心が置かれているように思う(SFだから当たり前といえば当たり前なのだけど)。一つ一つの短編が世界を形作っているため、短篇集とは思えないほどボリュームを感じた。一方で登場人物の説明を多少省いていると感じるところもあり、短編「フォックスの葬送」や「Heavenscape」などはゲーム:メタルギアソリッドの前提知識がないと読むのは厳しいかもしれない(長編「Guns of Patriots」には苦心の後は見られるがやはり同じように感じた)。

短篇集の中では「From the Nothing, with Love」が最も面白かった。この作品の主人公はイギリスの諜報員ジェームス・ボンド、007である。この作品上では、政府がボンドの類稀なる能力を見初め、彼の死後も脳内データを他人にロードすることで「ボンド」を永遠に継承している設定となっている。この何人目かのボンドが、次世代のボンド候補が次々と殺されている事件を調査するミステリとなっている。もちろん本作も犯人が暴かれてメデタシメデタシといったような終わり方ではなく、主人公と世界との対峙へと話がつながってゆく。

改めて読んでみると、「ハーモニー」の世界はこれらの短篇集の世界より更に深い世界であった。長編と短編を比べるのは難しいが、それでも「ハーモニー」の懐の深さは群を抜いている(参照:ハーモニーと文明への猜疑)。ただ一編、遺稿となった「屍者の帝国」は、まだ序盤30pしか書かれていないにも関わらず「ハーモニー」を超えうる可能性をもっているように感じ、先が読んでみたくなった。「虐殺器官」から「ハーモニー」への進化を見返してみても、筆者の速すぎる死が悔やまれる。

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)
(2012/03/09)
伊藤 計劃

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備忘「幽談」「虐殺器官」「虹ヶ原ホログラフ」

最近何かと忙しくて本が読めないのだけど、パラパラ読んだ小説などを備忘のため記録。

幽談 京極夏彦
怪談ではなく幽談。
怪事は怪しいと思う人がいるからこそ起こるもの、畢竟この世には不思議なことなどなにもないのだよ、という京極夏彦の世界。たとえば手首が落ちていたとして、語り手がその手首を怪しいとか怖いとか思わなければそれは怪談ではない。しかしその世界はやっぱり少し現し世と違っていて、しかし何が違うのかは判然とせず、幽かに揺らいでいる。最後まで何も説明されない、そんな世界の話が八編。
僕としては、あちら側に惹かれながらも、こちら側にどうにか引っかかりながら生きていて、しかしふとあちら側に行ってしまう人たちを京極作品に求めてしまうため、もっと煩悶する長編の方が好きかもしんない。表紙にもなっている「手首を拾う」が中では一番好き。

幽談 (MF文庫ダ・ヴィンチ)幽談 (MF文庫ダ・ヴィンチ)
(2012/02/23)
京極夏彦

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虐殺器官 伊藤計劃
この前読んだ同筆者の「ハーモニー」が面白かったので読んだ小説。911以降の地域紛争が続く近未来を書いた作品。筆者が大ファンだというゲーム・メタルギアソリッドの世界観と非常に近いものがあり、人工筋肉を使った機械や少年兵の問題など幾つか明確なリンクも見られる。
先に読んだ「ハーモニー」に比べるとパンチに欠けるがそれでも結構面白かった。あまりそういったものは読まない方なのだけど、同筆者が書いたメタルギアソリッドのノベライズも読んでみようかなと思っている(過去記事「ハーモニー」と文明への猜疑)。

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
(2010/02/10)
伊藤 計劃

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虹ヶ原ホログラフ 浅野いにお
一巻で完結する漫画。
暴力・虐待・いじめ・強姦・殺人。そんなダイレクトな描写が続く裏側に、様々なほのめかしが描かれていて、その欠片を拾っていかないとだんだんとセリフの意味がわからなくなっていく。更に複数の時系列が前後するように書かれているため何度か読み返す必要があったが、頭の中ですべてがつながったとき子どもの下らない噂話一つすら伏線であることに気付かされた。

虹ヶ原 ホログラフ虹ヶ原 ホログラフ
(2006/07/26)
浅野 いにお

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「ハーモニー」と文明への猜疑

SF好きの友だちに勧められて伊藤計劃の「ハーモニー」を読んだ。

僕たちは文明の力によって生々しい人間の暮らしから離れて生活することができている。たとえば、身近に死を感じることもなく生活しているにもかかわらず、毎日肉食できることなどがその一端だ。この状態に対する座りの悪さを表すために、文明の力を増大させた近未来を描く展開は物語のひとつのモデルである。

「ハーモニー」も序盤はその方向で話が展開する。体内に埋め込まれたナノマシンが常に身体の状態を監視・修復してくれるため、病気や怪我がない世界。食事や仕事の管理を行う健康コンサルタントが個人ごとについているため、太っている者も痩せている者もおらず全員が同じ体格。体内ホルモンの異常分泌に関してもナノマシンが警告を出すので、感情の大幅な起伏はなく、人間は平穏・安静に暮らすものという空気が支配した世界。

この息苦しさを感じる世界の破壊を試みるのは、例によって境界人である少女たちだ。子どもでもなく大人でもない彼女らは、大人の世界に反目するために飢餓による自殺を図る……といったプロットが序盤の流れである。王道とはいえ世界観がよくできていて、ここまででも面白く読める。

しかし「ハーモニー」の本当の面白さはその後にある。文明の力によって物質世界を支配した現代社会と、その延長上にある自らの身体をも支配した未来社会。普通の小説では現代社会での物語が展開され、普通のSFでは未来社会での物語が展開される。それに対して「ハーモニー」では、文明支配の範囲が未来社会から更に一段進んだところが物語の中心となる。SF世界の更に未来、言ってみればSF世界の中でのSFが描かれる。

文明の支配は究極的にはどこを目指すのか。そしてその結果は人間にとって幸福なものなのか。現代ですら感じる文明発展への懐疑は何を予感しているのか。「ハーモニー」はその結論のうちの一つを明確に示した。


ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
(2008/12)
伊藤 計劃

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「ロボットの時代」と「われはロボット」

アイザック・アシモフの短編集「ロボットの時代」を読んだ。以前読んだ同著者「われはロボット」の流れに与するものであり、やはりロボット工学三原則に従うロボットたちの話が展開される。(「われはロボット」の感想はこちら

しかし、「ロボットの時代」と「われはロボット」には明確な違いがある。「われはロボット」はロボットの行動・心理を解析する話であるのに対し、「ロボットの時代」はロボットが存在する世界で人間がどう動くかという話だ。ロボットに焦点をあてるか、人間に焦点をあてるか。題名の違いが、如実にそれぞれの差を表している。

個人的には「われはロボット」の方が好きだ。「われはロボット」は、人間からロボットを見てその実直さに心打たれるストーリーであったが、「ロボットの時代」はロボットに比べて人間はなんと利己的に世界をみてしまうのかというストーリーだと感じた。結局同じことなのだが、前者の方が前向きで気分がよいように思う。

とはいえ、「われはロボット」の主役であったロボット心理学者スーザン・キャルヴィン博士は、相変わらず濡れた刃物のように頭が切れる魅力的なキャラクターで、彼女が登場する4編はどれも面白い。特に「校正」はこの短編集の中で一番面白い話であると共に、上述のテーマの違いを明確に感じさせるものでもあった。

幕間にはアシモフのコメントが挿入されている。アシモフによるスーザン・キャルヴィン博士に関する下記のコメントはなかなかに示唆的なものを感じた。

時が経つにつれ、わたしはキャルヴィン博士を恋するようになった。彼女はたしかに近よりがたい生き物だ―――わたしの陽電子ロボットのどれよりもはるかにロボットの一般的なイメージに近い―――だがともあれ、わたしは彼女を愛している。 (p.135)


ロボットの時代 〔決定版〕 アシモフのロボット傑作集 (ハヤカワ文庫 SF)ロボットの時代 〔決定版〕 アシモフのロボット傑作集 (ハヤカワ文庫 SF)
(2004/08/06)
アイザック・アシモフ

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「君たちはどう生きるか」の構成

「君たちはどう生きるか」を読んだ。少年少女向けに書かれた倫理の本なので非常に平易な文で書いてあるにも関わらず、どう生きるかという重めのテーマをしっかりと捉えていて、さすが名著だと感心した。

特に構成が面白い。主人公である中学2年生の平凡な学生生活が記された後、それを聞いた叔父さんからの主人公に宛てた言葉が記されるという2段構成が何度か続く形となっている。一般的に倫理の本といえば、叔父さんからの言葉にあたる「どうあるべきか」といったことが主体に展開されるが、それを実生活に落としこむことは難しい。しかしその前に平凡な一般生活が語られることで、実生活から倫理へのつながりが見えやすくなっている。

主人公に倫理を示すのが「自省」や「お父さん」ではなく「叔父さん」であるところも、倫理を伝えやすくする構成の妙だ。人間が一番倫理的になるのはいつかというと、子どもに何かを伝えるときのように思う。自分で何かを考えるときは倫理よりも論理に偏った考えになりがちだが、子どもと話すときは倫理的にどうあるべきかを主体において話すことが多い。たとえ自分で実践できていないことでも、「こうあるべきだ」と子どもに示すことすらあるだろう。自分自身が行う反省よりも、子どもを見る大人の視点の方が倫理的でありうるのだ。また、日常生活を共にする「お父さん」よりも、少しだけ社会に近い「叔父さん」という立場の方がより理想的な倫理モデルにふさわしいだろう(父親としてずっと倫理的にいることは難しく思う)。

ここのところ精神的にきつい状況が続いているのだが、規律正しい文というのは読んでいて心が洗われるものだ。全文ですます調で通す本書は、清廉潔白な感じを受けるにもかかわらず、けっして嫌味ではなく、小学校の国語の教科書を読んだときのような穏やかな気持ちにさせてくれる。倫理とは「何をするか」ではなく「どうあるか」だということを本自体の姿勢として表している本だった。

君たちはどう生きるか (岩波文庫)君たちはどう生きるか (岩波文庫)
(1982/11/16)
吉野 源三郎

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