だいたい47度

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「もっとも美しい数学 ゲーム理論」とセレンディピティ

トム・ジーグフリードの「もっとも美しい数学 ゲーム理論」を読んだ。ゲーム理論に関する簡単な解説と、ゲーム理論が将来的にどう展開されるかという予測が書かれている本だ。後半が主体であり、解説の言葉が内容を端的に表している。

ではこの本は何かというと、ゲーム理論がどのように森羅万象を解き明かす究極理論となるか、その可能性を知的に探求するルポルタージュである。(p.420)


題名からもう少しゲーム理論について詳しく書いてある本だと思って手に取ったので、はじめに読むには厳しい本だった。ゲーム理論の将来性については、個々の内容は理解できるのだが、ゲーム理論とは何かという認識が覚束ない状態で「あれもできる、これもできる」と話が展開される感じなので、どうもしっくりとこない。一方で個々の事象は面白いので、とりあえず紹介されていた囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論を読んだ上で、再読しようかと思う。

自分の知識よりちょっと上の本を読むというのは、骨が折れるが面白い作業だ。未知の世界を理解するために様々なアプローチを行うことになるため、予想もしないものを得られたりする。たとえば、この本ではアイザック・アシモフのSFが比喩としてよく出てくるので、僕はアシモフの小説を数冊読んでみた結果、いままで食わず嫌いしていたSFを好んで読むようになった。しかし、この本の内容を理解するためにアシモフを読むのは迂遠的で、僕がゲーム理論に関してある程度知識があったならやらなかったと思う。

未知の本への挑戦はセレンディピティを伸ばすのに調度良い。好奇心は知識の一階微分なのだ。

もっとも美しい数学 ゲーム理論 (文春文庫)もっとも美しい数学 ゲーム理論 (文春文庫)
(2010/09/03)
トム ジーグフリード

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「ロボットの時代」と「われはロボット」

アイザック・アシモフの短編集「ロボットの時代」を読んだ。以前読んだ同著者「われはロボット」の流れに与するものであり、やはりロボット工学三原則に従うロボットたちの話が展開される。(「われはロボット」の感想はこちら

しかし、「ロボットの時代」と「われはロボット」には明確な違いがある。「われはロボット」はロボットの行動・心理を解析する話であるのに対し、「ロボットの時代」はロボットが存在する世界で人間がどう動くかという話だ。ロボットに焦点をあてるか、人間に焦点をあてるか。題名の違いが、如実にそれぞれの差を表している。

個人的には「われはロボット」の方が好きだ。「われはロボット」は、人間からロボットを見てその実直さに心打たれるストーリーであったが、「ロボットの時代」はロボットに比べて人間はなんと利己的に世界をみてしまうのかというストーリーだと感じた。結局同じことなのだが、前者の方が前向きで気分がよいように思う。

とはいえ、「われはロボット」の主役であったロボット心理学者スーザン・キャルヴィン博士は、相変わらず濡れた刃物のように頭が切れる魅力的なキャラクターで、彼女が登場する4編はどれも面白い。特に「校正」はこの短編集の中で一番面白い話であると共に、上述のテーマの違いを明確に感じさせるものでもあった。

幕間にはアシモフのコメントが挿入されている。アシモフによるスーザン・キャルヴィン博士に関する下記のコメントはなかなかに示唆的なものを感じた。

時が経つにつれ、わたしはキャルヴィン博士を恋するようになった。彼女はたしかに近よりがたい生き物だ―――わたしの陽電子ロボットのどれよりもはるかにロボットの一般的なイメージに近い―――だがともあれ、わたしは彼女を愛している。 (p.135)


ロボットの時代 〔決定版〕 アシモフのロボット傑作集 (ハヤカワ文庫 SF)ロボットの時代 〔決定版〕 アシモフのロボット傑作集 (ハヤカワ文庫 SF)
(2004/08/06)
アイザック・アシモフ

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Googleと作り手側の論理

NHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組でGoogleの及川卓也さんという人の密着取材を見た。及川さんはGoogleのプロダクトマネージャーで、番組の主題はどうやってチームを引っ張っていくのかという点にフォーカスしていた。

番組の中でとても印象的な場面があった。プロジェクト推進中に想定外の難しい問題が生じ、チームは緊急対策会議を行う。試行錯誤を重ねた結果、ユーザーの手間を少しだけ追加することで解決できることがわかるのだが、及川さんは首を縦に振らない。なぜならそれは「作り手側の論理」だからだ。

「作り手側の論理」とは、製品やサービスを提供する際に、顧客視点ではなく提供側の視点で製品スタイルを決定することだ。顧客にワンクリックをお願いするだけで開発コストが何割も変わるのであれば、現実的なのはワンクリック追加ということになるが、この判断は顧客側からだけ見ればストレスが増えるデメリットしかなく、作り手側の論理ということになる。

「作り手側の論理」問題は現実性と顧客満足に挟まれた問題だ。確かに顧客満足を追求することは大事だが、それによって製品・サービスの提供が著しく遅れるなど逆に顧客への害となる可能性もある。すなわち、どこまでリスクを取って顧客の満足度を上げるかという問題となる。これに単純な解はないだろう。

ただ、方針を決定するときに「これは作り手側の論理なのか」と考えることは大事だろうと思った。忙しい中仕事をしていると、どうしてもリスクを最小限にしたくなる。今でさえ手一杯なのにリスクを取って更に仕事が倍増したら目も当てられない、この方法で解決するのだからよいじゃないか、これだってそこそこ面倒だ。そんなときに、「これは作り手側の論理なのか」という自問自答は天秤を反対方向へ動かす原動力となる。

誰だって顧客満足を最大にする仕事がいいと思っている。ただ、自分の仕事で目の前が一杯になるとそんなことを考える余裕がなくなる。そんなときに「作り手側の論理かどうか」を思い返して、一度視野を広く持ち直すのは有効だ。「作り手側の論理」という言葉すらも忘れていた自分への反省も込めて。

再放送日時は1月27日(金)午前0時15分~午前1時3分(26日深夜)とのこと。
http://b.hatena.ne.jp/articles/201201/7341

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「フェルマーの最終定理」と一位じゃなきゃダメな理由

サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」を読んだ。同著者の「暗号解読」同様、中学生レベルの知識があれば十分わかるレベルの概念しか登場しないにも関わらず、フェルマーの最終定理がどのように証明され何に役立ったのかが理解できる良作だった。

恥ずかしながらフェルマーの最終定理がなぜ最終定理なのか知らなかった。1601年に産まれた数学者フェルマーはどうも天才的能力を持っている面倒くさがり屋だったようで、何かを証明しても「証明した」とだけ書き、その証明内容を明かそうとしない人だったらしい。そのため、彼の死後多くの定理が彼の書斎から見つかったが、どれも完全な証明が書かれておらず、多くの数学者がそれらの定理の証明を行なってきた。その中で下記の定理が最後まで証明されなかったため「フェルマーの最終定理」と名付けられた。この定理の側に書かれていたあまりにも有名な文句はフェルマーの代名詞ともなっている。

chart.png
自然数nが2より大きい場合、整数解は存在しない


この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。

この本の素晴らしいところは、「フェルマーの最終定理を証明することに意味があるのか」という疑問に明確な回答をくれる点である。フェルマーの最終定理は見ての通り非常にシンプルで、数遊びにしか見えない。これを解いたところでパズルを解く満足感以外に得られるものがあるのだろうか。

フェルマーの最終定理を解く意味は、解いた結果そのものよりも、定理証明への挑戦によって産まれた2つのものにある。

その1つは、3世紀ものあいだ数学者たちがフェルマーの最終定理に挑む中で編み出されていった数多くの新たな考え方である。これらの発明は、最終定理の証明にはまったく役立たなかったとしても、他の分野で重要な役割を担うこともあったし、場合によっては数学に新たな領域を産み出すこともあった。副産物的な発明は数学を豊かにした。

もう1つは、様々な領域で独自に進展していた数学をつなぎあわせたことである。ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明となった論文は補足論文とあわせて130ページにも及ぶが、その内容はバラバラに成長を続けていた数学の最先端を組み合わせたものであり、「数論の現代的概念はすべてこのなかにそろっている(ケン・リベット)」とも言われる。異なる領域の考え方がつながると、両方の領域が意見交換をすることでブレークスルーが生まれ、各領域とも急速な発展をとげる可能性が膨らむ。また、それぞれの領域での新たな発見が活躍する場も増加することになる。

ワクワクさせる目標は人をのめり込ませる。のめり込んだ人はたとえ目標に辿り着かなくとも素晴らしいものを産み出す。一位じゃなきゃダメな理由はここにある。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
(2006/05)
サイモン シン

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「君たちはどう生きるか」の構成

「君たちはどう生きるか」を読んだ。少年少女向けに書かれた倫理の本なので非常に平易な文で書いてあるにも関わらず、どう生きるかという重めのテーマをしっかりと捉えていて、さすが名著だと感心した。

特に構成が面白い。主人公である中学2年生の平凡な学生生活が記された後、それを聞いた叔父さんからの主人公に宛てた言葉が記されるという2段構成が何度か続く形となっている。一般的に倫理の本といえば、叔父さんからの言葉にあたる「どうあるべきか」といったことが主体に展開されるが、それを実生活に落としこむことは難しい。しかしその前に平凡な一般生活が語られることで、実生活から倫理へのつながりが見えやすくなっている。

主人公に倫理を示すのが「自省」や「お父さん」ではなく「叔父さん」であるところも、倫理を伝えやすくする構成の妙だ。人間が一番倫理的になるのはいつかというと、子どもに何かを伝えるときのように思う。自分で何かを考えるときは倫理よりも論理に偏った考えになりがちだが、子どもと話すときは倫理的にどうあるべきかを主体において話すことが多い。たとえ自分で実践できていないことでも、「こうあるべきだ」と子どもに示すことすらあるだろう。自分自身が行う反省よりも、子どもを見る大人の視点の方が倫理的でありうるのだ。また、日常生活を共にする「お父さん」よりも、少しだけ社会に近い「叔父さん」という立場の方がより理想的な倫理モデルにふさわしいだろう(父親としてずっと倫理的にいることは難しく思う)。

ここのところ精神的にきつい状況が続いているのだが、規律正しい文というのは読んでいて心が洗われるものだ。全文ですます調で通す本書は、清廉潔白な感じを受けるにもかかわらず、けっして嫌味ではなく、小学校の国語の教科書を読んだときのような穏やかな気持ちにさせてくれる。倫理とは「何をするか」ではなく「どうあるか」だということを本自体の姿勢として表している本だった。

君たちはどう生きるか (岩波文庫)君たちはどう生きるか (岩波文庫)
(1982/11/16)
吉野 源三郎

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「われはロボット」のジレンマ

「われはロボット」を読んだ。本作はSFの大家アイザック・アシモフの書いたロボットにまつわる短編集だ。9つの短編からなるが、それぞれの話に出てくる登場人物や舞台は一貫していて、全体で大きな一つの話となっている。

僕はこれまでSFを食わず嫌いしてきたのだけど、「われはロボット」を読んで大きく考え方を変えなくてはならないと反省した。

われはロボット 〔決定版〕 アシモフのロボット傑作集 (ハヤカワ文庫 SF)われはロボット 〔決定版〕 アシモフのロボット傑作集 (ハヤカワ文庫 SF)
(2004/08/06)
アイザック・アシモフ

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なぜ僕がSFを避けていたかというと、SFは説得力のために中途半端な科学知識を濫用するものだと思い込んでいたからだ。物語のひとつのキモは如何にリアリティを出すかであるが、SFはその部分をちょっとした科学知識で煙に巻きそこに都合のいい憶測を加えることで達成している、近年流行のサギのようなものだと感じていた。要するに、その物語がSFでなくてはならない理由が、説得力からの逃避以外に思いつかなかった(実際、途中まで生化学の話だったのに突然超能力を使い始める話を読んでゲンナリしたこともあるのだが)。

しかし、「われはロボット」はSFでなくてはならなかった。本作に出てくるロボットは陽電子回路という部品を中枢に持っている。陽電子回路は、音声や画像などの膨大な量の信号を受け取り、過去の記録と組み合わせてそれらを処理し、何かしらのアウトプットを出す。これはまさに人間の脳がやっていることに等しく、その結果ロボットは心をもっている(本作の主人公の職業は「ロボット心理学者」である)。つまりロボットは人間と内部的には等価であり、むしろ耐久性や処理速度を考えるとロボットのほうが優れていることになる。そこで人間の絶対的優位性を保つために、かの有名なロボット工学三原則の遵守がロボットに義務付けられるようになった。これを破ろうとするロボットはその時点で壊れてしまう。

・第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
・第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
・第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


物語は、このロボット工学三原則によって生じるジレンマが焦点となっている。ロボットたちは優秀で働き者で、そしてひどく優しい(第一条は人間を精神的に傷つけることすらも禁止している)。ロボットたちは自らの存在意義をかけて、人間たちから発せられた司令をこなそうと献身的に働く。だが、ルールを遵守しようとするあまり、複数のルールの間でジレンマが生じる。各短編はそのジレンマが元で生じた事件を主人公たちが解いていくことで進展するが、最後にロボットが抱えたジレンマが明らかになったとき、小児が母親のことを心配している様子を見たときのような愛おしさをロボットに感じる。

ジレンマに自らの存在意義をかけて挑む、というのはロボットだからこそ、そして明確な三原則があるからこそ説得力のある話だ。余計な要素を排除してテーマを際立たせるためにSF世界を描く手法の有効性を今更気づいた。

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ハッカーと画家を読んだ

「ハッカーと画家」はPaul Grahamが書いたエッセイ集。
対象読者は、プログラマーおよびWebアプリケーションを製品とするベンチャー企業に関わる人だと思う。

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たちハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち
(2005/01)
ポール グレアム

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筆者Paul Grahamはベンチャーを起ち上げて大成功したプログラマだ。彼はデスクトップソフトウェアからWebベースソフトウェアへの移行をいち早く捉え、1995年に初のASPサービスを提供するベンチャーViawebを設立した。その3年後の1998年、ViawebはYahoo!に5000万ドルで買収されるという大成功を収めることとなる。

一般的に楽しめるのは「第6章 富の作り方」であると思う。以前、本ブログで引用したのもここの部分だ(これ)。一方で10章以降はLispの話中心でプログラマ以外の人間には辛い。正直まったく楽しめないと予想する。ただ最終章の「第16章 素晴らしきハッカー」はハッカーの考え方を端的に表していて面白い。特に下記はこの本の中で一番素敵な言い回しだと思う。

賢い人はみな、好奇心が強いと私は思っている。好奇心は単に知識の一階微分だからだ。(237p)


個人的に面白かったのは「第5章 もうひとつの未来への道」。Webベースアプリケーションを主体とするベンチャー像が非常に明確に描かれており、自分の境遇と照らしあわせて楽しめた。特に以下の引用は僕がいま苦しんでいる状況を共感できたように感じ、第三者的視点から自分の状況を整理するという意味でこの章はとても良かった。

プログラマとシステム管理者は、普通はそれぞれ違った心配を抱えているものだ。プログラマはバグについて心配するし、システム管理者はインフラについて心配する。プログラマは長時間、肘までどっぷりソースに使って仕事をしているが、あるところまで到達したら家に帰ってそれを忘れることができる。システム管理者は仕事のことをすっかり忘れてしまうことはできないが、朝4時に呼び出しを食らった場合でも、やるべき作業はたいして複雑でない場合が多い。Webベースアプリケーションでは、このふたつの子となった責任が一緒にかかってくるんだ。(86p)


ちなみにここでPaul Grahamの最新のエッセイ(英文)を見ることができ、日本語訳はここで見られる様子。

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顔のない裸体たち

平野啓一郎の「顔のない裸体たち」を読んだ。出会い系サイトで知りあった男女が、匿名性の仮面を手に少々歪んだ性行為をエスカレートさせていく様子をドキュメンタリー調に描いた短編小説である。

集団に受けいられない性状ながら非常にプライドが高く、そのギャップから生じる劣等感を性的に女性を征服することで埋めようとする男。劣った容貌から性をタブー視しつつも、一般よりも女性ホルモンが多いことから生じる現象にどこか優越感を覚える女。ふたりは仮面の世界で出会い、それぞれに独善的に動き、それが偶々噛み合うことで嘘の生活はエスカレートしていく。

倦んだ生活を送る主人公男女のひどく赤裸々で低俗な会話が飛び交う一方、地の文は硬派で知的さを感じさせるというギャップは面白い。

読後感として「切なさ」が残ったのが意外だった。物語の出だしから隠そうともしていないように、最終的にはある事件が起こり二人の関係は破綻することになる。その破綻は主人公男が嘘の生活からの逃避を望んだことに端を発している。現在を変えたいと願い、しかし変え方がわからないため闇雲に動く結果、現在をも失う破綻へと突き進んでしまう男。その最後の展開においては、全く共感できないと思っていた男に対してどこか切なさを覚えてしまうのだ。

同著者の短編「一月物語」は、破綻がわかっていながらもむしろその破綻を望んで突き進む男を描いているが、こちらはこちらで何とも言えない読後感があり、たまに読み返したくなる。


顔のない裸体たち (新潮文庫)顔のない裸体たち (新潮文庫)
(2008/07)
平野 啓一郎

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ゲーム理論の本を読み始めた

2人でコインを使って行うゲームを考えてみる。相手がコインの表裏を決めてあなたに見えないように置き、あなたがその表裏を当てるという単純なゲームだ。このゲームを複数回繰り返すとき、あなたはどういうふうに回答をすると良いだろうか。つまりどういった戦略を取るのがよいのであろうか。

そういった戦略の最適解を分析する理論がゲーム理論である。ゲーム理論からすると、上の問題の戦略としては、表と裏が50%ずつになるようにランダムに回答するのがよいということになる。

この戦略、論理的にはわかるのだけど、どことなく直感的でない。モンティホール問題のような座りの悪さがある。

しかし、下記のような事象を見てみると、ゲーム理論は直感よりも現実に即しているようだ。

テニスでも、これと似た二者択一が起こる。はたして相手の右にサーブすべきか、あるいは左にサーブすべきか。相手を惑わせるためには、サーブをランダムに変えていかなければならない。ところがアマチュアの場合には、サーブの方向を始終変えすぎて、正規分布にならない。一方プロの場合には、理想的な正規分布にかなり近いところまでもっていく。 (もっとも美しい数学 ゲーム理論 242p)


ということで最近はこの本をチマチマ読んでいる。この例の他にも面白い例がたくさん載っているし、ゲーム理論のコアとなる考え方が素人にもわかりやすく書かれている。おすすめ。
もっとも美しい数学 ゲーム理論もっとも美しい数学 ゲーム理論
(2008/02)
トム・ジーグフリード

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パイを増やす人と分ける人

集団にはパイを増やす人とパイを分ける人がいるという。前者が新たな価値を想像することで集団のもつ資源を増加させる人、後者が集団のもつ資源を分け与える人ということだ。

この話をするときの典型的な結論は、「確かに集団にはパイを分ける役割の人は必要ではあるが、みんながみんなパイを分ける人になってしまうと、集団内は自分の取り分を増やそうとする政治的な動きばかりになり、最終的には集団そのものが潰れてしまう」といったものだ。

つまりは「パイを増やす人たれ」ということなのだけど、一方で自分が他人のためのパイを作れるという自信が持てる人は少ないのじゃなかろうか。結果、このモデルは社会への関わりを消極的にするようにも思う。

しかし、以下の文を読んでちょっと考え方が変わった。
例えばあなたがポンコツの古い車を持っているとしよう。次の夏休みにぼさっとしている代わりに、その車を修理して元の状態に戻したとしよう。そうすることであなたは富を創り出しているんだ。世界は、そしてとりわけあなたは、ひとつのクラシックカーの分だけ裕福になったわけだ。(ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち 第6章 98p)

自分で食べる分のパイだけを作る人になるという選択肢もあるのだ。人からパイを奪おうとするのではなく、自分がおいしいと思うパイを自分のために作るというのはなかなかに素敵な考え方だと思う。

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2012年から見た1999年のゲームキッズ

こどものころ、まわりの友だちと同様に僕はTVゲームにドップリとハマっていて、幾つかのゲーム雑誌には毎週目を通していたものだった。王道である週刊ファミ通もモチロン購読リストに含まれていたが、ファミ通にはゲーム情報以外にも毎週楽しみにしているものがあった。

ファミ通の巻末でひっそりと1ページ連載していたSF「1999年のゲームキッズ」である。1ページ連載であることもあって、最新技術の未来予想からドラマにつなげるシンプルな作りのSFだったが、星新一も知らない少年ゲーマーにとっては魅力的な未知の世界を覗ける小さな窓であった。

1999年のゲーム・キッズ (幻冬舎文庫)1999年のゲーム・キッズ (幻冬舎文庫)
(1997/04)
渡辺 浩弐

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1997年発行ということは、もう15年以上も前の作品である。表紙のCG(残念ながら上では見れないが)を見ると技術の進歩に驚かされるばかりであるが、収録されている30話は現在の僕が読んでも想像力をかきたてるものであった。特に脳死を扱う「第26話 遺産」は、現実性は兎も角、発想がとてもよいと思った。

2012年はあの頃の未来だろうか。この本が手に入るまでのエピソードはひとつの回答になっているかもしれない。
この前、僕は「ファミ通に載っていた1ページ連載SF」ということだけをフと思い出して、なんだっけこれ?とtwitterにつぶやいてみた。すると即座に複数の回答が得られ、返す刀でamazonへ行き、廃刊になっていた本巻を注文、2日後には最終話を家のソファで読んでいた。
あの頃想像していた未来とはちょっと違うけど、僕たちは未来にいる。

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言葉を遺すこと

米国の歴代大統領には、離任時に欠かせない習わしがあるという。新大統領にあてた手紙を、ホワイトハウスの執務室の机上に残していくことだ。(日経新聞2012/1/10)

去っていく者の手紙は価値あるものだ。

書き手は、そこに属していた期間に得た知恵や考え方をどうにかして言葉にしようとする。膨大な経験の中から一握りの本質をすくい上げることは、その仕事をやりきったものにしか出来ないことだろう。

しかし、遺された言葉の価値が高い理由は、長い年月が一つの手紙に濃縮され研ぎ澄まされたことのみではない。

読み手がその希少性を理解し、その言葉から多くを学ぼうとして、思索をする原点となること。その触媒のような機能こそが遺された手紙の真価であるように思う。

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コーヒーメーカーを買った

コーヒーメーカーを買った。2-6杯用でデロンギの赤。

デロンギ ドリップコーヒーメーカー ラズベリー CMB6-RDデロンギ ドリップコーヒーメーカー ラズベリー CMB6-RD
(2009/04/13)
DeLonghi (デロンギ)

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スターバックスで似たようなコーヒーメーカーを見たことがあって、ただ2万弱したので迷っていたのだけど、この機種はAmazonで8000円くらいだったので購入。ちなみに幾つか大型量販店も回ってみたけど、ポイントとか考慮してもAmazonの方がお得だった。

ペーパーレスなので、以前使っていたペーパー式のものより大分使い勝手がいい。使い終わったら台所のゴミ箱で何度かポンポンとやって、最後に水洗いしてあげるだけ。ペーパー式は、つい居間のゴミ箱に捨ててしまって面倒な事になったり、ペーパーが切れていて飲めないことがあったりするのが、面倒くさがりな僕にはちょっとした手間だった。

一点、受け手がガラス製なので保温性が心配だったけど、使ってみると2-3杯は時間を開けずに飲むので大した弊害はなかった。僕、猫舌気味だし。ただ、いつもアツアツのコーヒーを飲みたい人は受け手が魔法瓶式の方がいいかも。

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