だいたい47度

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ダーウィン進化論だけでは説明にならない生物の「かたち」

ハチの巣は非常に精密な六角形からなっている。
ただ面を埋めるのであれば三角形でも正方形でもいいはずだが、なぜ六角形なのだろうか?

ダーウィンは、ハチの巣は「労働と蝋を節約するためには完璧だ」と断言したという(90p)。一定の大きさの平面を埋めることを考えると、三角形や四角形に比べて六角形は、辺の総長をかなり節約できる。つまり巣室の断面積が同じであるならば、六角形を用いることで壁の面積を抑えることができ、壁を作るための蝋や労働=エネルギーを節約することができる。

ダーウィン的な物語でいえば、ハチは適応によって六角形の巣を作るようになったことになる。様々な形で巣を形成するハチがいる中で、六角形の巣を作るハチは巣作りのエネルギーを抑えることができたため、他のハチが淘汰されていくなか生き残ったのだ。ハチには六角形の巣を作るための遺伝子があり、それが選択されたということになる。

しかし、ハチの巣が六角形である説明にダーウィンの進化論を持ってくる必要があるのだろうか?

ダーシー・トムソンは、ハチは物理的な組織力に頼るだけで、精密な六角形の巣を構築しうると主張した。例えば、ストローをシャボン液に突っ込んでプクプクと吹いてやると、六角形のシャボン壁でできた表面ができあがる。単純に表面張力だけで六角形はできるのだ。であるならば、ハチの巣もただ物理的な事象の結果として六角形になっているだけなのではなかろうか。

結果的にトムソンの主張は間違っていた。ハチは生理的に120度の角度を測定できることが示され、更にハチの巣には他にも地磁気や重力が勘案されていることも示されたのだ。それらはハチが遺伝的に獲得した能力だった。

ハチの件に関しては間違っていたが、トムソンの主張は示唆的である。すなわち、生物の形態や行動はあまねくダーウィンの進化論で説明できる、というのはあまりにも単純化しすぎているのではないか。進化論は「なぜそれが選ばれたか」は説明するが、「どんな選択肢がありうるか」については何も述べない。そこに関して注意を払わないと、進化論とインテリジェントデザインはあまり変わりのないものとなってしまう。生物の形態に対して「それが最適だから」は説明としては片手落ちなのだ。

前置きが長くなったが、「かたち: 自然が創り出す美しいパターン」は数理・物理的視点から、生物の形態について迫っていく本だ。上述のハチの巣の話から始まり、シマウマや熱帯魚、チーター、キリンの模様や、巻貝の形、コロニーが描くパターン、キャベツのしわしわの葉やカボチャのボコボコした実などについて、数理的にどう説明できるかが書かれている。すべてを遺伝子のブラックボックスに投げず、数理・物理的に可能なことを明らかにすることで、生物の謎に対するアプローチは本質的になる。

最初の3章では、パターンは生物依存のものではなく、自然発生的にも生じることを見ていく。リーゼガングの環やBZ現象(下記動画)などを説明し、自己触媒反応と拡散反応が起こる際には、同心円・らせん・縞模様などのパターンが発生することを説明する。

では、パターンは自然発生しうるとして、それがどうしてシマウマの縞に落ち着くのだろうか。ここでアラン・チューリングが出てくる。彼はモルフォゲンと呼ばれる化学物質が組織内に拡散し、遺伝子のオンオフを切り替えることで組織内にパターンを作りうると考えた。モルフォゲンには2つの重要な点がある。自己触媒反応を起こすため活性のゆらぎが大きく増幅されることと、抑制因子が活性因子の拡散より速いスピードで拡散されることだ。詳細は省くが、この数理モデルのもとでは、活性因子が活性化される領域が斑点や縞模様のようになるため、遺伝子発現にパターンを生じさせることができる。

このモルフォゲンの数理モデルを軸に据え、「かたち」ではおびただしい量の事例を取り扱い、それぞれに説明を試みていく。上述したような話の他、植物の葉がどうして日光を浴びやすいように交互に生えるのかについてや、チーターの尾が付け根はブチなのに先は縞の理由についてなど、バラエティに富んでいる。しかも、軸であるモルフォゲンの数理モデルに関しても「あくまでもモデルとしては説明できる」というスタンスを崩さず、他の考え方に関しても紹介してくれるため安心して読んでいられる。図が豊富なのも嬉しい。



この本で一番衝撃を受けたのは、界面活性剤からできる膜が自動的に共連続相を作る話だ(p.135)。僕は生命科学系の大学院で生体膜の構成成分と形状の話を研究していた。しかし当時は、遺伝学的アプローチばかり考えていたからか、その周囲の論文は読んでも、数理・物理的なアプローチは頭に浮かんだことがなかった。

もし当時数理的アプローチを知っていたら、もっと違った形での研究もできたかもしれない。この僕の浅学無知は、単に僕が学生だったからというだけではないように思う。主要な分子生物学系論文雑誌はほぼすべて目を通して関連記事は読んでいたはずだし、専門で研究していた助手の先生との議論でもその視点は出てきたことがないからだ。だが、外から見てみれば当然やるべきアプローチに思える。どっぷり一つの世界に沈み込むことも大事だが、意図的に外側とつながる意識も持った方がよいようだ。

同じようなことはどんな仕事にも言えるだろう。仕事関係の本を読むことも大事だが、離れた領域の本を読んだり、離れた世界の人と触れ合ったりすることが、意外と大事なのかもしれない。広く様々なものを楽しんで、何かに固執しないようにしよう。


かたち: 自然が創り出す美しいパターンかたち: 自然が創り出す美しいパターン
(2011/09/09)
フィリップ・ボール

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50光年を光速で移動すると何年かかる?

「20歳の人が光速に限りなく近い速度のロケットに乗り、地球から50光年離れた場所に着いた時には何歳になっているだろうか?」
ニュートン力学においてはこの問題の解は70歳強であるが、相対性理論によれば解はもっともっと若くなる。

特殊相対性理論の基本について簡単にまとめてみよう。

ガリレオ・ガリレイは「絶対運動はない」と説いた。あらゆる運動は、基準となる物質に対する相対的な運動でしかありえないというのだ。世界の絶対的な基準などどこにある?これは僕らの生活上の認識にもあうため、理解しやすい話だ。このことから考えると、速度というものは誰から観測した時の速度なのかを記述しないと意味がないことになる。

その一方で、マクスウェルの弾きだした光速の式には、発生源の速さも受け手の速さも現れていなかった。このことはガリレオの話とあわないように思われる。この矛盾に対して当初は、エーテルと呼ばれる物質が宇宙を埋め尽くしており、光速はエーテルに対する相対的な速度だと考えられていた。しかし、マイケルソンとモーリーの実験によってそれも否定され、ガリレオとマクスウェルの話は真っ向から対立する形となってしまった。

そこで出てくるのがアインシュタインの特殊相対性理論である。彼は光速は観測者によらず一定であるという仮定をもって思考を始めた。

まず有名な思考実験である光時計実験が行われた。光時計とは、光が距離αだけ離れた二つの鏡の間を上下に反復移動して、その反射回数によって時間をカウントできる時計である。さて、それを持って電車に乗ったとしよう。動いている電車の中で時計を見ていると光が100回往復した。このとき電車の中の人からみると、光は100αの距離を移動したことになる。同時に、電車の外から光時計を見ている人がいるとしよう。その人から見ると、電車の移動に合わせて鏡も移動していくため、光は一回反射するごとにαより長い距離(α+⊿α)を移動することになる。つまり100回往復したときには、100α+100⊿α移動したことになる。

光の速度は観測者によらず一定と仮定しているにも関わらず、観察者によって光の進行距離が変わってしまっている。この問題をアインシュタインはこう解釈した「観測者に対して相対運動する物体においては時間がゆっくり進むように見える」。光速をcとすれば、電車の中の人が100α/c秒と感じる時間を、電車の外の人は(100α+100⊿α)/c秒と感じる。時間も絶対ではないのだとアインシュタインは喝破した。

更にここから面白いことがわかる。電車の外から見て電車が毎秒Xメートル進むとすると、(100α+100⊿α)/c秒後には、(100α+100⊿α)X/cメートルの距離を進むことになる。しかし電車の中の人にしてみれば、この時間は100α/c秒であり、距離的には100αX/cメートルしか進んでない。よって電車の中の人は空間が縮んだように見える。時間も空間も絶対的なものではないのだ。

一般的な入門書だと、特殊相対性理論の解説は上記のような流れとなる。今日読んだ「なぜE=mc2なのか?」という本も先頭の1/3を同様な解説に充てている。この本も物理学をなるべく数式を使わず説明してみようという本の一つである。

しかし、この本の主題は、題名の通り「E=mc2」(質量に光速の二乗をかけたもの=エネルギー)というアインシュタインの代名詞とも言える数式の意味を説明することであり、特殊相対性理論の説明はその前段階に過ぎない。また邦題では隠れてしまっているが、本来の題名why does E=mc2?(and why should we care?)という題名の通り、だから何?というところまで説明を試みており、核分裂・核融合からビッグス粒子、時空の歪みまでを数式を使わず説明しようと企てている。

この本が数式を除いて説明に成功しているか、というと、部分的にのみ成功しているという回答になる。特に、途中までは数式をほとんど除いた形で説明できているにも関わらず、クライマックスの一つであるE=mc2の導出を数式変換に頼ってしまうのは少々残念だった。中途半端な形で数式を導出してしまったため、むしろ説得力にかけるように感じるところもある。

それでも、なるべく数式を使わず説明しようと苦心していることは、丁寧すぎるくらいの書き方に現れている。そのため、物理学の本であるにも関わらずスラスラと読める。同時に、広範囲に関して意欲的に言及している本であるため、近代物理学の地図を頭の中に描くのにはちょうど良い本である。僕も多少知識があるものの宙ぶらりんとなっていた範囲の話について他の領域との関連性がクリアになったし、次に知りたい分野に目星も着けることができた。先日読んだサイモン・シンの宇宙創成 (新潮文庫)の副読本のような形としてもよいかもしれない。


なぜE=mc^2なのか?なぜE=mc^2なのか?
(2011/08/29)
ブライアン コックス、ジェフ フォーショー 他

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