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囲碁のアルゴリズム [レビュー]コンピュータ囲碁 モンテカルロ法の理論と実践

ボードゲームにおいてコンピュータの強さは年々上がっている。チェスでは1997年にDeep Blueが世界チャンピオンを破っているし、将棋においてもほぼプロ同等の強さにまでなっている。

その中で、囲碁に関してはコンピュータの成長が遅かった。2005年まではアマ初段以下と言われていた。理由としては、囲碁というゲームの性質がコンピュータで扱うのに向いていなかったことが大きい。詳しくは後述する。

しかし2006年、モンテカルロ木探索というアルゴリズムが発明されたことで囲碁プログラムの強さは一変する。このブレークスルーは、成長が止まっていた囲碁プログラムを一気にアマ5段程度の強さまで引き上げた。

ここでは、コンピュータがボードゲームをするときの考え方から始めて、囲碁が難しい理由、モンテカルロ木探索の取っ掛かりまで書こうと思う。というのもコンピュータ囲碁 ―モンテカルロ法の理論と実践―というコンピュータ囲碁の本として面白い本を見つけたからで、この本へのリードとしてこのブログを書きたいと思う。本については最後に触れる。

コンピュータにとってのボードゲーム
ボードゲームをするとき、人は、言語化されない感覚を大いに使う。人は「概ねこの辺に打つ」ということがわかっているので、幾つかの候補手を考え、相手が対応するだろう手を幾つか考え、それに対して……といった形で考える。最初から経験・感覚で候補手を絞っているのだ。もっと言うと、この手は数手先にやばそうという事さえ、感覚でわかってしまう。

一方で、コンピュータは計算をフルに使う。コンピュータには感覚というものがない。すべては数で表される。「だいたいこのへんに打つ」という感覚ではなく「A地点には確率◯%で打つ」というデジタルな形式で処理される。そのため、手を考える場合も、どうしてその手になるのかを明示的に示せなくてはならない。その代わり、コンピュータの計算処理能は人間とは比べ物にならない速度である。よって、膨大な計算を行うことで「感覚」をデジタルに作り出すことがコンピュータの考え方になる。

例えば、数独の解法を比較すると面白い(ボードゲームではないが)。数独を解くとき、人であれば数値がある程度集まっている怪しそうな領域を調べてみて、数値を一つ一つ書き込んでいくという解法になる。一方のコンピュータの解法はすごい。開いているマス全てにランダムに数字をいれていき、膨大な盤面を生成、たまたまどれかで整合性が取れたらその盤面を正解とする。一々候補を考える手間を取らずに、計算力だけで押し切ってしまうのだ(もちろんもっと効率的にうめていく方法もある)。

コンピュータにとって、全ての手を計算しきれるかどうかで戦略が大きく変わる。コンピュータの計算速度は非常に速いとはいえ、有限である以上、全てのパターンを現実的な時間では試せないこともある。つまりゲームによっては、全部の手を検証できる場合と、全部の手を検証することが時間的に許されない場合があるのだ。3x3の◯×ゲームのような人間でも全パターン読めるような問題は前者にあたるが、多くのボードゲームは後者にあたる。前者であれば全件計算した後で最善手を打てばいい(というか計算し終えた時点で勝敗も決してしまう)のに対し、後者は何かしらの方法で計算を打ち切り、かつその途中までの計算が有用である必要がある。

全ての手を検証できない場合、限られた計算でどれだけ有用な結果を返せるかは、アルゴリズムにかかっている。アルゴリズムとは何を計算するかを規定したものだ。状況に応じて限られたリソースを最大限にいかせるようなルールをアルゴリズムが実現しているかどうかによって、コンピュータの強さは大きく変わってくる。

多くのボードゲームは計算しきれないだけの局面が存在するため、アルゴリズム如何で強さが大きく左右されることになる。よって、ボードゲームに強いコンピュータを作るということは、よりよいアルゴリズムを探索していくことに近い。

囲碁の難しさ
数あるボードゲームの中でも囲碁はコンピュータに向いていない。

まず局面の数が多い。囲碁は19x19であらゆるところに着手できる。8x8かつ相手をひっくり返す部分にしか着することができないオセロとは比べ物にならないくらい局面がありうるだろう。後述する本によれば、オセロは局面数10^28、将棋でも10^69であるのに対し、囲碁は10^170である。

更に途中で勝敗を規定するのが難しい。勝敗が決する最後になるまで、黒白どっちが勝っているかをコンピュータでは判断しにくいのだ。例えば将棋であれば、駒の優劣などがあるので、それらを指標にどちらが優勢かを計算できる。しかし、囲碁では多くの陣地が完全に決定するのが最終盤である上、一時的に損することが将来的な得につながることも多い。よって完全に計算し切らない限り、優勢劣勢の判断をコンピュータが間違えやすい。

つまり、ゲームが最後まで行かないと優劣を決めるのがコンピュータには難しいにも関わらず、ゲームの局面を計算し切るには局面の数が多すぎるというのが囲碁の難しさにつながっている。

モンテカルロ木探索概略
アルゴリズムの一つにモンテカルロ法というものがある。完全な答えを導き出すリソースが膨大になってしまう場合に、乱数を用いて正解に近い値を求める方法だ。よくある例が、円周率を求めるもの。四角の中に内接するような円を描き、四角の中にランダムに点を打ち、円の中に含まれた点の数を数えることで、円周率の近似値を求める。

囲碁においてモンテカルロ法を使うとすると、ある手Aを打ったあとに、ランダムに盤面を埋めていって勝敗を求めることで、Aの勝率を出していくことになる。現在着手可能な手すべてに関して、ランダム盤面埋め処理を複数回ずつ行うことで、各手の勝率を出し、次の手を決めることになる。

このランダムに盤面を埋めていく処理をプレイアウトという。プレイアウトはランダムに埋めていくものではあるが、そのランダムな選択がより人に近いほど(人が選ぶべき手が選択される可能性を高くしてランダム処理するほど)、プレイアウトによって得られる勝率の正確性は上がり、結果的にプログラムが強くなる。よってプレイアウトは囲碁プログラムにおいて大事な位置を占める。

しかし、ただプレイアウトを繰り返していっても、囲碁のプログラムは強くならない。なぜなら、プレイアウトはランダムな手だけで成立するため、相手がミスすると得する手を打ちやすくなるからだ。相手が万一ミスすると大きく儲かるが、きちんと応じると自分が損したりする手があったとすると、期待値的にコンピュータはこの手を打ちたくなってしまう。

つまり、良さげな手があったとしても、その先を読まなくてはいけないのだ。相手が次にどう対応するか、また更に自分がどう対応するか。先を読んで一手目を打つ確率を補正し無くてはならない。

これを実現したのがモンテカルロ木探索である。モンテカルロ木探索は、最初は上述のモンテカルロ法と同様にプレイアウトを繰り返すが、ある程度有望な手が見つかると、その手に関しては打ったものとして相手の手番のプレイアウトを行い始める。普通の手は1段階目のプレイアウトを行いつつ、有望な手に関してはより深くまで調べていくのだ。この探索がnodeをたどっていく木探索の形式をしているので、モンテカルロ木探索と呼ばれる。

本の紹介
ここまでの話に加えて、モンテカルロ木探索を詳しく説明してくれるのが、コンピュータ囲碁 ―モンテカルロ法の理論と実践―である。あまり詳しくない僕でもスラスラと理解できる良著だ。

この本は理論編と実践編で別れており、それぞれ著者も異なる。理論編でコンピュータ囲碁の理論を頭に入れた後、実装をしながらもう一度理論を辿っていけるので、理解がしやすい。

著者はもちろん両者とも第一線の方々であるが、特に実践編の山下さんはコンピュータ将棋の世界大会で優勝していたり、コンピュータ囲碁の大会で3位になっていたりする方だ。実践編ではその実装の詳細をパラメータの数値まで絡めて記述してあって圧巻である。ここまで必要なのかというレベルで書いてある。

理論編を読んでいると、いとも簡単にコンピュータ囲碁が作れる気がしてくる。実際に僕は作ってみようと思った。その後、実践編を読んでいると、ちゃんと強いプログラムにするためには夥しい数の状況に対応を考え、実装して行かないといけないことを痛感して挫折できる。理論と実装の違いを改めて味わえて、そういう意味でも面白い本だった。

囲碁はなかなか難しそうだけど、同じような考え方を使って、何かボードゲームのAIを作ってみようかと思った。もちろん理論以外に機械学習などの知識も必要になってくるので、ハードルは高そうだけど(この本でも機械学習について一定のページは割いてくれているが主題ではない)。

最後に付記しておくが、この本を読む場合は、囲碁のコウやセキという単語はわかるレベルでないとキツい。理論編はついてこれるかもしれないが、実践編は囲碁の知識があることが前提で書かれている。とはいえ、定石を知っている必要などはないので、ちょっと勉強すればすぐ読める本ではあると思う。

コンピュータ囲碁 ―モンテカルロ法の理論と実践―コンピュータ囲碁 ―モンテカルロ法の理論と実践―
(2012/11/10)
美添 一樹、山下 宏 他

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[レビュー]家畜人ヤプーと社畜

2012年に読んだ小説の中でいちばんを選ぶのであれば「家畜人ヤプー」になる。正確には最終巻を読了したのは今年になってしまったのだけど。僕としては、奇書と呼ばれるドグラ・マグラを読んだときより、大きな衝撃だった。

以降、家畜人ヤプーについて書こうと思うが、もし汚物愛好や人体改造を含むグロテスクな描写に忌避感を覚えるのであれば、以下を読む必要はない。あえてグロテスクな描写をしようとは思わないが、家畜人ヤプーを述べる上でそういった描写を割けるのは難しいと思われる。そもそも、そういった描写が苦手な向きには、家畜人ヤプーは面白く無いだろう(というか表紙の時点でアウトだ)。

また多少のネタバレも含むが、本書の圧倒的な内容を前にすれば、下記の文など大した問題ではないであろう。

主題:被虐的世界の描写
家畜人ヤプーは、お話としては未来へのタイムスリップものだ。1960年代の男女カップルが主人公となり、二千年後の3970年へ連れて行かれて、未来世界の習俗に感化されていくという流れである。

しかし、家畜人ヤプーにおいて、タイムスリップおよび主人公たちの冒険は主題ではない。彼らの冒険は全5巻で丸2日も進まないし、そもそも最初の方で結論が示されている。その結論も特に驚くところもない。場面転換や主人公たちの内面変化は激しいが、それでも彼らは狂言回しに過ぎない。

では主題は何かというと、筆者のユートピア世界を詳細に描写することである。

筆者は、白人女性への被虐・隷属願望が非常に強い人間であった。彼は巷間のマゾヒズム小説に納得するものが見つけられず、己の渇望を医すためにユートピア世界を夢想していた。その世界を細部まで仕上げていくためには文字に落としていくことが必要だと考え、筆者が書き上げたのが家畜人ヤプーの世界なのだ(詳細は第5巻に所収されている「普及版あとがき」参照)。

つまり、筆者の夢想する被虐・隷属願望の行き着く先こそ、家畜人ヤプーの世界なのだ。筆者は病的といえるほど世界を隅々まで描画している。彼は「法律・裁判、経済・貨幣・税制、軍隊・警察、教育・医療・協会、演劇・スポーツ……イース世界百般の社会事象に関し」て全て考えており、それを記述しようとしているのだ。

家畜人ヤプーを読んで、筆者の被虐・隷属願望に比べれは、僕が想定する「常識・倫理などを破った世界」など児戯に等しいことを痛感した。完全に想定の範囲を上回る小説だった。

家畜人ヤプーの世界
家畜人ヤプーの舞台である未来世界(=イース世界)には2つの大きな特徴がある。「徹底した人種差別」と「女権専制社会」だ。筆者の白人女性への被虐・隷属願望が正に世界の軸となっている。

まずは「徹底した人種差別」についてだが、基本的には三段階があると考えてもらえば良い。3970年のイース世界では、イギリスが全宇宙を掌握し、白人による支配が行われている。白人の下には、使用人としての黒人、黒奴がいるが、黒奴は半人間として扱われ、人間たる白人とは明確に差別されている。そして、更に黒奴の下にいるのが家畜人ヤプーである。なお、白人・黒奴・ヤプー以外は第三次世界大戦において死滅した。

つまり、白人>黒奴>ヤプーとなっているのだが、このヤプーは実は現代の日本人のことである。イース世界での研究により、日本人は人類でなかったということが分かったため、半人間である黒奴より更に下の家畜、家畜人として扱われることとなったのだ。

ヤプーは人類でなく家畜人であるため、人類=白人の役に立つよう様々な分野に利用される。

ヤプーの使い道の一つは生体家具だ。便器、布団、椅子、机、バスタブ、犬、ハンドバッグ、楽器……など、白人の居住空間のほとんどはヤプーを使った生体家具で占められている。

生体家具となるヤプーは、白人が使いやすいように遺伝子および肉体を改造され、白人が使いやすいように教育されてきている。例えば便器として働くヤプー「セッチン」を例に挙げよう。セッチンは便器として働きやすいように口を裂き、舌を伸ばし、鼻の位置を変え、便座になるよう肩を癌化させて拡大し……といったように改造される。また同時に、便器として働く際のテクニックおよび白人を神と崇める洗脳のための学習を学校で習い、非常に洗練された便器としての奉仕を全力を尽くしておこなうよう仕込まれる。

他の使い道としては、燃料、食料、革……などあらゆる分野でヤプーは活躍している。イースの科学を持ってすれば、遺伝子的・外科的改造は勿論、寿命と引き換えに身体を極端に小さくすることや、使用者の脳波を受信して行動するようにすることもできるため、様々な分野に特異的なヤプーを作ることができるのだ。ヤプーの総数は非常に多いので、新種の構築のために幾らヤプーが死んでも構わないし、使っているものも要らなくなったら気軽に廃棄処分できる。

上記数段落では簡潔に留めたが、「家畜人ヤプー」本文中ではヤプーの使い道ひとつひとつが詳細に記述してあることは付記しておく。

イース世界のもう一つの特徴は「女権専制社会」だ。イース世界では、現在の男性主導の社会から女性主導の社会に切り替わり、労働をするのは女性の仕事、家を守るのが男性の仕事となっている。女々しいと雄々しいの意味合いが逆になっているのだ。例えば、黒奴の半人間はデミ・ウーマンと読む。

この「女権専制社会」の成立にもヤプーの一種、子宮畜(ヤプム)が大きく関わっている。ヤプムとは代理出産の腹となるためのヤプーである。白人女性が妊娠すると、その子種を極小畜(身長を極度に縮められたヤプー)が子宮の中に入っていって回収し、ヤプムの腹に移し替える。ヤプムはそのまま子供を腹にいれて育て、出産の際にはハラキリをして子供を取り出す(白人の子供がヤプーの産道を通るのはおかしいため)。

ヤプムにより白人女性が妊娠から実質的に開放された結果、女性による社会進出=女権革命が起こって女権専制社会が成立したわけである。

以上のようにして「徹底した人種差別」と「女権専制社会」という軸ができ、筆者の白人女性への被虐・隷属願望を表す世界の基本となっている。基本と書いたのは、上述した内容から更に隷属していく運命が待っているからであるが、それは本書を読んだときのお楽しみとしよう。

被虐・隷属願望において、自分が苦痛を感じることは大事であるが、その理由が相手への奉仕であることの方がより大事である。ともすると、衝撃の大きさからヤプーが踏みにじられていることだけに着目しがちではあるが、それだけでは片手落ちであり、あくまでも白人の心地良い生活のためであることを理解しなくてはならない。奉仕のためという前提があるからこそ、白人・黒奴・ヤプーを含む複雑な社会システムが詳細に構築されているのだ。

苦痛を伴う奉仕に喜びを
この小説が最初に発表されたのは1956年。その当時、この小説は筆者の欲望の具現化であると共に、現実の風刺と読むことができた。それもあって幾らかの人たちには受けたようである。

2012年の僕が読むと、西洋大国に蹂躙される日本という絵面にはピンと来ないが、「社畜」人ヤプーという言葉が何となく浮かんできた。

ヤプーは、自分の仕事は誰の仕事よりも尊いものであると信じてやまない。たとえ食べられるヤプーでも、白人(神)の身体の一部になれるなんて!という喜びでいっぱいのまま食べられていく。痛くても喜びが上回るのだ。白人の方も、ただヤプーを利用するのではなく、本人たちが満足して奉仕するように仕向けるべきだ(慈恵主義)、そうすることでより良い奉仕を受けられると考えている。

そこかしこにあるこの描写を見たとき、僕は、あまり面白くもない仕事を自分を騙して素晴らしいものだと思い込み、身体を壊してでもやっている社会人を想起してしまった。外の世界を見ることさえ知らない人を、忙しいことを求めている人を。

世界を描ききっている小説に触れると、人は自分の世界を投影してしまうのかもしれない。


家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
(1999/07)
沼 正三

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余談だが、石ノ森章太郎の漫画も出ているらしい。どうやって漫画化したのだろう……。読んでみようかな。

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やりたかったことはファシリテーションだった

僕は小さいときからアカデミックな世界に生きようと思っていた。素質や志向が研究者向けというポジティブな理由と、内向的で興味のあるものしか見えないというネガティブな理由とから。

その決断になんの疑問も持たず暮らしていたが、大学院の博士課程(後期)まで進学し研究室の人的マネジメントを始めると、研究よりもそれに魅了されてしまった。研究と就職の板挟みになりくすぶっている学生が、環境を整えてあげることで実力を発揮できるようになっていく過程はとても魅力的だった。特に、彼ら彼女らが自分の能力をフルに使えるようになったときの輝くような目を見るのが好きだった。

面白かったのは、僕独りが積極的に働きかけるのではあまり効果がなく、彼らとよく話して解決策を導き出し実行したときはじめて、仕組みは機能するということだった。自分が触媒のようになって組織の力を何倍にもするというのはとてもやり甲斐のある仕事だと思った。

数週間悩んだ末、大学院を中退し、ビジネスの世界で生きることにした。「人が力を発揮できる環境作り」をやってみたいと思ったからだ。研究の世界でも環境作りはできるが、ビジネスの世界の方がそういった仕事に専念できる。環境作りの最も強力なツールはIT技術だと思ったので学習を開始し、また環境作りを勝手にしやすいスタートアップベンチャーに就職した。

それから数年後、気がつくと僕は「人の能力を引き出す環境作りをしたい」という目的を忘れて仕事をしていた。あれだけ悩んだ決断の最も基礎的な部分だというのにだ。人員が足りないスタートアップベンチャーでは、絶え間なく仕事が発生する。しかも自分がやることを誰も知らないことも多いため、1つずつ学習を重ねていかなくてはならない。あまり社会的でない自分の性格も事態を悪くしたと思う。いずれにせよ、仕事に忙殺された僕は当初目的を忘れていた。目的を忘れてしまったことで、僕は社会生活を続けていくのが辛くなってきていた。

そんな中、「ザ・ファシリテーター」という本を読み、自分のやりたいことを思い出した。

「ザ・ファシリテーター」は、日本のビジネスの世界を舞台にした小説の形式を持ってファシリテーションを説明した本だ。ファシリテーション(facilitation)とは、複数の人間が連動するときの様々な障害を取り除き協働を促すスキルのことである。リーダーシップ・マネジメントとあわせてこの3つが集団リーダーには求められる。ファシリテーションの通り一遍の説明を聞いても、なかなか具体的にイメージしづらい、もしくは理想論に過ぎないと思われるかもしれないのだが、「ザ・ファシリテーター」は小説として具体的なファシリテーションの様子を示すことで、ファシリテーションを納得行く形で説明することに成功している。

この本を読んで、3つの大きなことを僕は学んだ。第1に「ファシリテーション」という具体的な名称を知った。元々僕がやりたいことは「マネジメントのようなそうでないような……」といった曖昧なものだったのだが、「ファシリテーション」という言葉を知ったことで、自分のやりたいことの像に実体が生まれ、それを調べる方法も手に入れたのだ。第2にファシリテーションに必要なスキルの内、自分に足りていないものが見えてきた。一番足りていないスキルは頭の中の考えを誰でも分かる図に落としこむスキルだ。このための知識がないと、複数の人間の頭の中を整理することは難しい。第3に適度な休憩がよい議論には必要だということだ。アイスブレイクと呼ばれる会議中の小休止は、凝り固まった頭をほぐすのに使える。様々なアイスブレイクを知っていることもファシリテーション能力の1つともいえる。アイスブレイクは面白いので個別に調べてみてもよいと思う。

こうして具体的な目標が復活したことで、僕自身も復旧した。大目標を見据えて前を見るようになった結果、そのためのステップも見えてきて、毎日が楽しくなってきた。長いスパンでの人生設計が見えてきた。詳しいことはある程度調べがついた時点でここに書くかもしれない。

とりあえず直近ではファシリテーションを中心に据えて、学習を進めてみようと思う。「ファシリテーション入門 (日経文庫)」は読んだが、入門と書いてある通り、概略をつかむのや復習するにはよいものの、「ザ・ファシリテーター」の方がファシリテーションとは何かが血肉となって見えると感じた。一方、このブログでも前述した「あなたのチームは、機能してますか?」などはファシリテーションという言葉は出てこないものの参考になると思う。


ザ・ファシリテーターザ・ファシリテーター
(2004/11/12)
森 時彦

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チームが機能しなくなっていく過程

自分の属しているチームは、チームとして機能しているだろうか?

この質問は非常に答えづらい。まず、躊躇なくYESというのは難しい。少なくとも僕の属してきた団体ではYESと断言できるチームはなかった。チームメンバー全員がチームを最大限に活かす行動をとっていると言い切ることはなかなかできなかった。しかしその一方、完全にチームとして破綻している、というわけでもなかったと思う。どのチームも、集団としてまとまっていて、居心地は良かった。そんなわけで、YESとは言えないけれど、NOとも言い切れない。

質問を変えてみよう。自分の属しているチームは、どうなるとチームとしてもっと機能するだろうか?

これは色々と思いつく。それぞれの長所を活かす。フィードバックを互いに返す。隠し事をしない。相談をする。知識のトランスファーをする。学習をしそれを共有する。etc, etc……。

しかし「それをどうやって行うか」になるとまた難しくなる。隠し事をしないようにしましょう、などと言ってもしょうがないし、隠し事をしたら罰金ですなんてルールもうまく機能しなそうだ。

有用なアクションが思いつかないのは、チームが機能していない理由が明確でないからだ。細かい理由はいくつも思いつくが、それらが体系的な理論に落ちないため、抜本的な対策が立てられない。

パトリック・レンシオーニ著「あなたのチームは、機能してますか?」はチームが失敗する要因を5つの段階に体系化した本だ。前半の200ページでは、架空の企業を使ってバラバラの経営チームが新CEOの元でチームワークを作り上げていく様子が描かれ、その背景のモデルを最期の30ページくらいで説明する形式となっている。

この本の5段階モデルは、チーム機能不全を体系的に把握するのに使い勝手がよい。「それは○○チームのことだから知りません」「ほら言ったじゃん、それはダメだって」「××さんはいつもあぁで面倒だから抜いて話そう」。これらがどうしてチームワークを壊しているのかが体系的に説明できる。


1 第一の機能不全は、チームのメンバー間の信頼の欠如である。これは本質的に、グループ内で弱みを見せようとしないことから来ている。チームのメンバーが、互いに自分のまちがいや弱みを隠そうとすると、信頼の基盤をつくることはできない。

2 信頼を気づけないことが問題になるのは、それが第二の機能不全、衝突への恐怖を生み出すからである。信頼の欠如したチームは、腹を割って激しく意見をたたかわせることができない。あいまいな議論や慎重な発言が多くなる。

3 健全な衝突がないと、チームの第三の機能不全、責任感の不足をまねく。チームのメンバーは、オープンな激しい議論のなかで意見を出さなければ、会議中に表面的には同意しても、本当にその決定を支持し責任感を持つことはできない。

4 本当に責任をもって支持する姿勢がなければ、チームのメンバーは、第四の機能不全、説明責任の回避に走るようになる。明確な行動計画に責任をもって取り組んでいなければ、いくら集中力と意欲をもった人でも、チームのためにならない行動や態度をとった仲間をとがめるのに躊躇することがある。

5 互いの説明責任を追求しないと、第五の機能不全がはびこる環境が生じる。結果への無関心が起きるのは、メンバーがチーム全体の目標より個人のニーズ(自尊心、キャリア開発、評価など)や自分の部門のニーズを優先させたときである。

(「あなたのチームは、機能していますか?」p. 208)


同僚を会社のパーツと見るようになり人として見なくなると、意見を戦わせることが億劫になる。すると会議を開いたとしても、チームとして何かを決めるのではなく、誰々と誰々の間で物事が決まるということになる。それ以外のメンバーからすれば、自分がコミットしたことではないので約束を守るコミットメントもないし、失敗しても知らないよ、といった空気になる。全体を俯瞰した視点がなくなる。というふうに5段階はそれぞれつながっている。

逆にこれをひっくり返してやれば、どうすればチームワークを築けるかのヒントになる。例えば、チームメンバーの人間性を知ることがすべての始まりであることが明確にわかる。すると、飲み会の意義もわかるし、逆に飲み会でなくても目的を達成する方法も思いつけるだろう。

僕は上記のモデルも使い勝手が良く一見の価値があると思ったが、それよりも面白かったのは新CEOが経営チームを立てなおしていく「手法」だ。新CEOキャスリンは経営チームメンバーたちと議論を重ねてチームワークを形成していくが、どうしても必要なとき以外はなるべく黙っているスタンスを貫く。キャスリンが結論を誘導するのではなく、メンバー同士がぶつかり合って結論を出していくことを望んでいるからだ。そうやって出た答えはメンバー全員が納得行くものとなる。

自分は発言を促したり議論の流れを整理・修正したりに特化することで、メンバーの議論を活性化させ、組織の協働を促進することを「ファシリテーション」と呼ぶ。ファシリテーションは、リーダーシップとマネジメントに並ぶ指導者に必要なスキルの一つとされ、当事者同士が解決方法を編み出せるようになることから、時代の流れが早くなり現場の決定力が大事となった現代では特に注目されるスキルである。

キャスリンはファシリテーティブなリーダー像としてうまく書かれており、その視点と5段階モデルの視点をかけあわせて小説部分を読むと深みがでて面白かった。ファシリテーションについては自分の中でいま最もホットな話題なので近いうちに取り上げたい。


あなたのチームは、機能してますか?あなたのチームは、機能してますか?
(2003/06/18)
パトリック・レンシオーニ

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ダーウィン進化論だけでは説明にならない生物の「かたち」

ハチの巣は非常に精密な六角形からなっている。
ただ面を埋めるのであれば三角形でも正方形でもいいはずだが、なぜ六角形なのだろうか?

ダーウィンは、ハチの巣は「労働と蝋を節約するためには完璧だ」と断言したという(90p)。一定の大きさの平面を埋めることを考えると、三角形や四角形に比べて六角形は、辺の総長をかなり節約できる。つまり巣室の断面積が同じであるならば、六角形を用いることで壁の面積を抑えることができ、壁を作るための蝋や労働=エネルギーを節約することができる。

ダーウィン的な物語でいえば、ハチは適応によって六角形の巣を作るようになったことになる。様々な形で巣を形成するハチがいる中で、六角形の巣を作るハチは巣作りのエネルギーを抑えることができたため、他のハチが淘汰されていくなか生き残ったのだ。ハチには六角形の巣を作るための遺伝子があり、それが選択されたということになる。

しかし、ハチの巣が六角形である説明にダーウィンの進化論を持ってくる必要があるのだろうか?

ダーシー・トムソンは、ハチは物理的な組織力に頼るだけで、精密な六角形の巣を構築しうると主張した。例えば、ストローをシャボン液に突っ込んでプクプクと吹いてやると、六角形のシャボン壁でできた表面ができあがる。単純に表面張力だけで六角形はできるのだ。であるならば、ハチの巣もただ物理的な事象の結果として六角形になっているだけなのではなかろうか。

結果的にトムソンの主張は間違っていた。ハチは生理的に120度の角度を測定できることが示され、更にハチの巣には他にも地磁気や重力が勘案されていることも示されたのだ。それらはハチが遺伝的に獲得した能力だった。

ハチの件に関しては間違っていたが、トムソンの主張は示唆的である。すなわち、生物の形態や行動はあまねくダーウィンの進化論で説明できる、というのはあまりにも単純化しすぎているのではないか。進化論は「なぜそれが選ばれたか」は説明するが、「どんな選択肢がありうるか」については何も述べない。そこに関して注意を払わないと、進化論とインテリジェントデザインはあまり変わりのないものとなってしまう。生物の形態に対して「それが最適だから」は説明としては片手落ちなのだ。

前置きが長くなったが、「かたち: 自然が創り出す美しいパターン」は数理・物理的視点から、生物の形態について迫っていく本だ。上述のハチの巣の話から始まり、シマウマや熱帯魚、チーター、キリンの模様や、巻貝の形、コロニーが描くパターン、キャベツのしわしわの葉やカボチャのボコボコした実などについて、数理的にどう説明できるかが書かれている。すべてを遺伝子のブラックボックスに投げず、数理・物理的に可能なことを明らかにすることで、生物の謎に対するアプローチは本質的になる。

最初の3章では、パターンは生物依存のものではなく、自然発生的にも生じることを見ていく。リーゼガングの環やBZ現象(下記動画)などを説明し、自己触媒反応と拡散反応が起こる際には、同心円・らせん・縞模様などのパターンが発生することを説明する。

では、パターンは自然発生しうるとして、それがどうしてシマウマの縞に落ち着くのだろうか。ここでアラン・チューリングが出てくる。彼はモルフォゲンと呼ばれる化学物質が組織内に拡散し、遺伝子のオンオフを切り替えることで組織内にパターンを作りうると考えた。モルフォゲンには2つの重要な点がある。自己触媒反応を起こすため活性のゆらぎが大きく増幅されることと、抑制因子が活性因子の拡散より速いスピードで拡散されることだ。詳細は省くが、この数理モデルのもとでは、活性因子が活性化される領域が斑点や縞模様のようになるため、遺伝子発現にパターンを生じさせることができる。

このモルフォゲンの数理モデルを軸に据え、「かたち」ではおびただしい量の事例を取り扱い、それぞれに説明を試みていく。上述したような話の他、植物の葉がどうして日光を浴びやすいように交互に生えるのかについてや、チーターの尾が付け根はブチなのに先は縞の理由についてなど、バラエティに富んでいる。しかも、軸であるモルフォゲンの数理モデルに関しても「あくまでもモデルとしては説明できる」というスタンスを崩さず、他の考え方に関しても紹介してくれるため安心して読んでいられる。図が豊富なのも嬉しい。



この本で一番衝撃を受けたのは、界面活性剤からできる膜が自動的に共連続相を作る話だ(p.135)。僕は生命科学系の大学院で生体膜の構成成分と形状の話を研究していた。しかし当時は、遺伝学的アプローチばかり考えていたからか、その周囲の論文は読んでも、数理・物理的なアプローチは頭に浮かんだことがなかった。

もし当時数理的アプローチを知っていたら、もっと違った形での研究もできたかもしれない。この僕の浅学無知は、単に僕が学生だったからというだけではないように思う。主要な分子生物学系論文雑誌はほぼすべて目を通して関連記事は読んでいたはずだし、専門で研究していた助手の先生との議論でもその視点は出てきたことがないからだ。だが、外から見てみれば当然やるべきアプローチに思える。どっぷり一つの世界に沈み込むことも大事だが、意図的に外側とつながる意識も持った方がよいようだ。

同じようなことはどんな仕事にも言えるだろう。仕事関係の本を読むことも大事だが、離れた領域の本を読んだり、離れた世界の人と触れ合ったりすることが、意外と大事なのかもしれない。広く様々なものを楽しんで、何かに固執しないようにしよう。


かたち: 自然が創り出す美しいパターンかたち: 自然が創り出す美しいパターン
(2011/09/09)
フィリップ・ボール

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